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大阪地方裁判所 昭和45年(わ)3484号 判決

主文

被告人を罰金一五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

本件公訴事実中業務上過失致死傷の点につき、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、公安委員会所定の免許を受けないで、昭和四五年六月一八日午前〇時三〇分ごろ大阪府門真市下島町二八番二〇号地先付近道路において軽四輪貨物自動車を運転したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(業務上過失致死傷の公訴事実に対する判断)

一、本件公訴事実中業務上過失致死傷の点は、

「被告人は継続反覆して自動車を運転し、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四五年六月一八日午前〇時三〇分ころ軽四輪貨物自動車を運転し、門真市下島町二八番二〇号地先付近道路において、西から東に向けて進行中、目的地を行き過ぎたため、西に引返そうとして右に転回しようとしたが、かかる場合自動車を運転する者は、予め相当手前から転回の合図をしたうえ、できる限り道路の中央により前後左右の安全を確認して転回し、もつて事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに、わずかに転回開始約九メートル手前の地点で合図をしたが、予め道路の中央によることなく道路左端から後方を一瞥したのみで後続車はないものと即断し、後方および右方の安全確認不十分のまま時速約一五キロメートルで転回に移つた過失により、おりから同道路を西から東に向けて直進してきた加賀谷浩一(当時三〇年)運転の普通乗用自動車前部に自車右側面を衝突させて同車を転覆させ、よつて同人を頭蓋内出血等により即死させ、同車の同乗者鎌田勝太郎(当時三九年)に加療約一七八日間を要する左虹彩損傷、頭部外傷Ⅱ型後遺症の傷害を、同東雲学(当時二三年)に加療約一一一日間を要する頭部外傷Ⅰ型等の傷害を、同和田俊市(当時二〇年)に加療約三週間を要する頭部外傷Ⅰ型等の傷害を、自車同乗者井沢敏夫(当時二三年)に加療約三ケ月間を要する右大腿骨骨折等の傷害を、同井沢揺恵(当時二八年)に加療約四週間を要する後頭部打撲顔面挫創等の傷害を、それぞれ負わせた」というにある。

二、よつて判断するに、(一)〈証拠〉を総合すると、被告人は、昭和三九年八月四日以降自動二輪の運転免許を取得していたが、免許のない軽四輪貨物自動車をも反覆継続して運転し、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和四五年六月一八日午前〇時三〇分頃、前記場所において、軽四輪貨物自動車(ダイハツゼットキャブバン2M型)六大阪ぬ二〇―六一号)を運転し、同地先道路(国道一六三号線、車道幅員約一三メートル)の左側歩道寄車線(第一車線)を西から東に向かい時速約三〇キロメートルで進行していたが、後部座席に同乗中の井沢敏夫が、自己の居宅を一寸行過ぎたといつたので、それから少し進んだところで転回して引返そうと考え、時速約二〇キロメートルに減速しつつ右の指示灯に点灯して転回の合図をしながらそのまま同道路左端の同車線上を約九メートル進行し、同地点でバックミラーおよびサイドミラーで後方(西方)を確認して後続車両がないことを確めたうえ、さらに減速して時速約一〇キロ程度で右に転把し、ゆつくりと転回のため車首を南に向けて進行し、同道路中央線あたりにいたる約一二メートルの間南進するまでに車の窓越しに左方(東方)を一瞥して対向車のないこと確かめ、次いで右中央線付近まで進出した地点で、自車が最徐行の状態にべつた際、右後方(西方)を見たところ、自己の真正面の道路中央線寄をかなり遠方に懐中電灯を照らされた程度のライトを認めたが、次の瞬間に折柄同道路左側中央線寄(第二車線)を西から東に向い時速約一一〇キロメートルにも及ぶ高速度で疾走してきた加賀谷浩一(当時三〇年)運転の普通乗用自動車(ダットサンB一〇型)(大阪五一せ八八八一号)がその前部を自車右側面に激突してきたため、同車が転覆し、よつてその衝突により同人が頭蓋内出血等により即死したほか、前記公訴事実記載のとおり、同車の同乗者三名、自車の同乗者二名が各傷害をそれぞれ負つた事実を認めることができる。

(二) そこで、右認定事実にらし、被告人の過失の有無を次に逐一検討していく。

まず、転回を行う場合の自動車運転者の注意義務を考察するに、「転回」は同一路上において車両の進行方向を逆に転ずる目的でおこなう運転操作の開始から終了までの一連の行為を指称するのであつて、その目的、行為自体が車両の運転、道路の交通方法としては異例なものであるから、転回にあたつては、転回をしようとする地点から三〇メートル手前の地点に達したときに右側の方向指示器を操作して合図をし転回行為の終るまで合図を継続しなければならないのはもとよりのこと(昭和四六年法律九八号による改正前の道路交通法五三条、同法施行令二一条)、転回は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは行つてはならないものとされている(同改正前の同法二五条の二第一項)。したがつて、正常な交通である限り他の直進車両等が優先し、転回しようとする自動車運転者はそれを差し控えねばならない義務があるといわねばならない。しかしながら、このような他車両優先、合図義務のほかに検察官主張のごとく「できる限り道路の中央により」転回しなければならない義務が一般に課せられているとはいえないと考える。けだし、転回の合図の方法およびその時期については右折と同じであるが(前記施行令二一条、最判昭四六・一〇・一四判時六五〇号二五頁参照)。前記改正前の同法二五条一項の、車両が「右に横断するとき」につき「あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り、かつ、徐行しなければならない」との規定は、転回について何らの準用その他の規定をおいていないこと、道路幅員と転回車両の転回半径等に照らして道路中央へ寄ることが不可能な場合も少くないし、それが可能な場合でも対向車両が多い場合など道路の交通状況によつてはあらかじめ道路中央に寄り、それから対向車線を利用して転回することが却て危険である場合さえも考えられることなどに照せば、要するに転回という異例な交通方法を行うときには、自車の走行車線、或いは対向車を問わず他車両の正常な交通を妨げないよう配慮して適宜の方法によつて転回すれば足りるのであつて、一率に道路中央へ寄ることを要求することはできないと考えられるからである。

(三) そして、被告人は前認定のとおり、軽四輪貨物自動車を運転し転回しようとするにあたり、右に転把前約九メートルの地点で右側の方向指示器に点灯して合図をし、バックミラー、サイドミラーで後方を確認して後続車がないことを確めたうえ、時速約一〇キロメートルで転把しはじめたのであるから、被告人の転把操作上問題とすべきものは、本件被害車両の位置とその確認が十分であつたか否か、その確認可能性および転回合図時期の遅滞と本件事故の因果関係である。

そこで、被告人が後写鏡、側写鏡によつて後続車を確認し、転把を開始した地点において、相手車両(加賀谷運転の前記普通乗用自動車、以下同様)の位置を測定すると、相手車は被告車が中央線付近へ南向に進出した際その地点で衝突したものであるから、その衝突地点から転回開始時点までの被告車の走行時間から相手車の転回開始時の位置を逆算していくほかないが、まず被告車のこの走行時の時速は前掲各証拠とりわけ、井沢敏夫の司法警察員に対する供述調書第六項、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する昭和四五年七月二三日付供述調書第三項によると、既述のとおり時速約一〇キロメートルであると認定せざるを得ないし(なお、検察官主張の時速約二〇キロメートル以上であつたことは推測の域を出ず本件全証拠によるもこれを認めるに足る証拠は全く存在しない)、走行距離は転把開始時から衝突時点までの直線距離では、司法警察員作成の昭和四五年七月二三日付実況見分調書添付の現場見取図によると、約7.3メートルであり、同見取図の被告車の方向を前提に可能な最小限の転回走行軌跡を想定して、同見取図の縮尺図面に当嵌めて算出するとその走行距離は約一二メートル(同図面上約6センチメートル×200)であるから、その間の走行時間は約4.32秒(約12メートル 2.778メートル(時速10キロメートルの秒速)=4.319秒)であり、同時分に相手車が走行し得る距離は、相手車が前認定のとおり当時時速約一一〇キロメートルで疾走していたのである(このことは前掲各証拠ことに、司法警察員作成の昭和四五年六月一八日付実況見分調書添付写真一二号に衝突後の相手車の速度計の指針が一一〇キロ付近を指していること(衝突後の指針は厳密には正確でないかもしれないが、これをも基準にして認定するほかないのである)、証人和田俊市の当公判廷における供述により明らかである)から、約132.02メートル(4.32秒×30.56(時速110キロメートルの秒速)である。したがつて、被告車が転回開始時点では、相手車は西方約一三二メートルのはるか後方にあつたと認定せざるを得ないのであり、後写鏡、側写鏡の照写範囲、相手車の前照灯の照射範囲、本件道路況状に照らし、相手車を発見する可能性は極めて乏しく、後続車がないものと受け止めた被告人の判断を咎めることはできないところである。よしんば、約一三二メートル後方に認めたとしても、自動車を転回しようとする運転者は、相手車が交通法規に従い制限時速五〇キロメートル内外で走行してくるものと信頼してよいのであつて、特段の事情のない限り、相手車の如く敢えて交通法規に違反し約一一〇キロメートルにも及ぶ高速度で疾走し自車の前面を突破してくる車両のあり得ることまでも予測し、それに備えて転回を差控えるべき業務上の注意義務はないものといわねばならない。けだし、「転回」を行う車両は、「他車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは」転回を禁じられているが(前記改正前の道路交通法二五条の二第一項)、本件相手車の如き交通法規に著しく違反し制限速度の二倍以上にも達する約一一〇キロメートルの高速度で疾走してくる異常な交通をも予測して転回を差控える必要はないものと考える。したがつて、たとえ被告人の後方確認の完全性に何らかの点で欠けるところがあつたとしても、これを本件衝突事故の原因の一であると解すべきではない。

(四) 次に、被告人は前認定の如く転回開始前約九メートル手前で転回合図を開始したのみで、既述のとおり交通法規が要求する三〇メートル手前から合図をすべき合図時期に欠けるところがあることは明らかであるが、たとえ被告人が法の要求する転回開始の三〇メートル手前から転回合図をしていたとしても、その際の相手車との距離は約二三二メートルも遙か後方にあつたものと計算できるうえ、相手車は前記の如き常軌を逸した高速度で疾走し、本件衝突前に制動、転把などなんらの措置を採らないまま被告車と激突している(司法警察員作成の昭和四五年六月一八日付実況見分調書添付の現場見取図によつても、タイヤの横すべり擦過痕が記されているのみで、スリップ痕は見当らない)ことなどに照らすと、合図の時期いかんにかかわらず本件衝突事故は回避できなかつたものといわねばならないのであつて、転回合図時期の遅滞という軽度の交通法規違反と本件衝突事故とは相当因果関係を認めることができず、本件全証拠をみてもこれを認めるに足る証拠はない(軽度の交通法規違反があつても、信頼の原則の適用があることにつき、最判昭四五・一一・一七刑集二四巻一二号一六二二頁参照)。したがつて、この転回合図時期の遅滞をもつて本件衝突事故に対する被告人の業務上の過失のうちに数えることはできないところである。

三、以上のとおりであるから、本件衝突事故につき被告人にその原因となるべき業務上の注意義務の違反を認めることができず、犯罪の証明がないから、被告人は業務上過失致死罪につき無罪であり、刑事訴訟法三三六条に従い主文のとおり判決する。 (吉川義春)

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